ひねくれ先生のブログ

30代公立小学校教員(算数が好き)が日々思うことを徒然なるままに書くブログ

正しさを追い求めることで失われるもの

 一時期、オリラジ中田さんのyoutube大学にどハマりしていた。

  もう、めちゃめちゃ面白い。歴史、経済、政治、宗教、時事問題、多分野に渡って自分の知らなかったことを教えてくれるのだから、ずっと流していた。知識を得るってのは人間の根源的な喜びなのかもしれない。しかも、面白おかしく伝えてくれるし分かりやすい。そう思って「すげーすげー」と一人で騒いでいたら、ネット上で批判する人が結構多いことにも気がついた。曰く、「正しくない」のだと。その説は否定されている、その情報は間違っている、メリットばかり行っているけどこんなデメリットもある…

 言い分は分かる。誤った情報を発信することは罪だ。というのも分かる。でも「正しさ」を求め過ぎたら「面白さ」は失われていくのではないだろうか。

 学校の授業も同じで、正しさばかりを優先したら、それは面白いのだろうか。教科書は正しいことがのっている(とされている)。でも、誰が好き好んで教科書を読むのか。教科書面白い!って言っている人もいるけれど、ごく一部だろう。正しさを追い求めれば追い求めるほど、面白さは失われていく。例えば、私は歴史の授業でこんな話をしている。

当時、最強だった邪馬台国と戦争した国に狗奴国があった。邪馬台国VS狗奴国。狗奴国の王の名は卑弥弓呼(ヒミココ)。つまり、「ヒミコVSヒミココ」っていう戦いがあったらしい。※諸説あり

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これは鉄板ネタで、子どもたちは絶対笑う。正しいかどうかの検証なんて私はしていない。でも、「歴史って面白いね」と思える入り口になるかもしれない。「正しさ」より「面白さ」を優先してしまう私はダメな教員だろうか?もちろん誤った情報を意図的に流して、情報操作をするのは違うと思うけれど。

 オンライン授業が始まる自治体があるという。動画配信や、zoomを使う所もあるだろう。教員の発信が保護者の目に晒される。その時にも、「正しさ」を求め過ぎると「面白さ」は失われていくだろう。何のためにオンライン授業をするのか、「正しい情報を発信すること」ではないはずだ。