ひねくれ先生のブログ

30代公立小学校教員(算数が好き)が日々思うことを徒然なるままに書くブログ

2020年5月の「いいね数ベスト5ツイート」

第5位 46いいね

世界の割り算

 

第4位 74いいね

全国の小学校が使えるクラウド

 

第3位 93いいね

対話的な学びを進めるための教師の切り返し

 

第2位 127いいね

教育にお金をかける国(シンニホン)になろう

 

第1位 579いいね

オールドタイプとニュータイプの教員

 

4月30日のフォロワー数 1908人

5月31日のフォロワー数 2002人

1日1投稿やめます。

1日1投稿をじぶんの日課として、約1ヶ月ほど続けて、「よし、やめよう」と決断しました。本当、毎日更新されている方たち凄いです。尊敬します。これからは「よし、これは」と思った時は、投稿したいと思います。自分のアウトプットの場のメインをtwitterに戻します。もし良かったらtwitterフォローしてください。よろしくお願いします。

5年生 「整数と小数」導入授業

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C1:「先生、それ何枚か重なってない?」

T:「え?重なってるよ。」

C2:「それじゃあ分からないよ。」

C3:「何枚あるか教えてよ」

 T:「えっと全部で21枚」

C4:「全部でじゃなくて…」

 T:「え?どういうこと?」

C5:「それぞれが何枚あるか教えて欲しい」

 T:「それぞれって?」

C6:「10が何枚とか」

 T:「10がいくつあるかが大事なのね。」

 T:「10が4枚、1が2枚、0.1が1枚、0.001が9枚、0.01が5枚」

C7:「42.195だね」

C8:「いや、違うんじゃない。42.159じゃない?」

 T:「ちょっと待って、C7さんが42.195って言ったんだけど、C7さんの気持ち分かる人いる?」

C9:「左にある数字から順番に言った。」

 T:「それじゃあダメなの?」

 T:「どうしてダメなのかノートに書いてみよう。」

めあて①「数字はどの順番に書けばいいの?」

C10:「0.1の位の次は0.01の位が来て、その次は0.001の位だから。」

C11:「大きい順にかかないといけない。」

まとめ①「大きい位の数字から書く。」

 T:「大きい位の順に書くってのは分かったけど、0.01と 0.001はどっちが大きいの?」

C 12:「0.01だよ」

 T:「そうなの?じゃあその理由をノートに書いてみよう。」

めあて②「0.01ってどんな数だろう?」

C 13:「0.001を10個集めたら0.01になって、0.01を10個集めたら0.1になる。」

C 14:「0.001×10=0.01だし、0.01÷10=0.001」

まとめ②

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2020年4月の「いいね数ベスト5ツイート」

第5位 52いいね

自分がされて嫌なことは他人にしませんではなく…

 

第4位 52いいね

新しいことに挑戦する人を批判するのはやめませんか?

 

第3位 62いいね

1億より大きい数を調べようの導入授業

 

第2位 108いいね

先生が教えない

 

第1位 212いいね

ワークシートを使わない方がいい理由

 

3月31日 フォロワー数 1751人

4月30日 フォロワー数 1908人

3年生「九九の表とかけ算」導入

問、九九表の一部を切り取ったものです。どんな数字が入るでしょう。

①を提示

 T:この空いているところに入る数字が分からない人?

 T:分からない所で手を挙げられる人は素晴らしいね。

めあて①「どうやって考えたらいいのかな?」

 T:さて、この人たちにヒントを考えられる人?

C1:3の段

C2:5の段

C3:5ずつ増える

 T:では、ここに入る数字をノートに書いてみよう。どうしてそうなるかも書いてね。

 

(中略)

 

まとめ①「なんの段か分かれば、その数ずつ増える」

 

②を提示

 T:では、空いているところに入る数字をノートに書いてみよう。

C4:あれ?2通りある気がする。

 T:え?そんなことないでしょ。答えは1つじゃないの?

めあて②「答えは2通りもあるの?」

C5:いや、2通りあるよ。だって…

 

(中略)

まとめ②「8×6=48 6×8=48みたいに2通りの式がある答えもある」

 T:そうか、空いているところが多いと答えは2通りあるんだねえ。

 

③を提示

 T:これは、答えが何通りもありそうだね。

C6:あれ?これは答えが1通りしかないんじゃない?

 T:ええ?そんなことないでしょう。こんなに空いているところがあるんだよ

C7:いや、1通りしかないよ

めあて③「なんで答えが1通りしかないんだろう?」

 

(後略)

まとめ③「7×7=49みたいに同じ数をかける式の答えは1通りしかない」

 

※「この授業、面白い教材ある?」をtwitterのDMで募集しています。DMを頂ければ、この授業のように考えさせていただきます。お気軽にメッセージください。(2020年度限定)

文科省もなかなか良いことを言っている(生徒指導編)

 タイトルだけ見ると、どの目線で偉そうに言っているんだ、とお叱りを受けてしまいそう。ただ、心底そう思ったのだ。「文科省もなかなか良いことを言っている」って。「文科省は何をやってるんだ!」という現場の怒りの声をよく聞いていたので、しょうもないことを言っているイメージでした。すみません。

 

⽣徒指導とは、⼀⼈⼀⼈の児童⽣徒の⼈格を尊重し、個性の伸⻑を図りながら、社会的資質や⾏動⼒を⾼めることを⽬指して⾏われる教育活動のことです。すなわち、⽣徒指導は、すべての児童⽣徒のそれぞれの⼈格のよりよき発達を⽬指すとともに、学校⽣活がすべての児童⽣徒にとって有意義で興味深く、充実したものになることを⽬指しています。⽣徒指導は学校の教育⽬標を達成する上で重要な機能を果たすものであり、学習指導と並んで学校教育において重要な意義を持つものと⾔えます。各学校においては、⽣徒指導が、教育課程の内外において⼀⼈ ⼀⼈の児童⽣徒の健全な成⻑を促し、児童⽣徒⾃ら現在及び将来 における⾃⼰実現を図っていくための⾃⼰指導能⼒の育成を⽬指 すという⽣徒指導の積極的な意義を踏まえ、学校の教育活動全体 を通じ、その⼀層の充実を図っていくことが必要です。(生徒指導提要 2010 文科省

 

これを読んで、現場の生徒指導との乖離を感じたのは私だけだろうか。次の3点が気になった。

 

①現場の生徒指導が個性の伸長を図っているのだろうか?

 〇〇の髪型は禁止。髪を染めてはいけません(地毛証明書を提出しなさい)。制服を着なさい。アクセサリーをつけてはいけません。靴下は白色のみとします。挙げればキリがないけれど、子ども達を一様に揃えようとする校則は、個性の伸長からはほど遠い。

※もちろん、服装が乱れることのデメリットはあると思う。人は見た目で判断する生き物であるし、マイナスイメージで見られるかもしれない。でも、それは個人がリスクを負えば良い話で、校則で一様に禁止するのはどうなのだろうか、とも思う。不良集団のイラスト

②今、求められている社会的資質とは何だろうか?

 社会的資質は時代によって変わる。例えば、高度経済成長期の日本において、必要だった人材と、今の世の中において必要な人材は大きく異なるだろう。この辺りは山口周著の「NEWTYPE ニュータイプの時代」に書かれているオールドタイプとニュータイプの違いが非常にわかりやすかった。昔は「良し」とされてきた価値が変わってきているのである。正解を探す、ルールに従う、一つの組織に留まる…などの価値は、今と昔では違って当たり前である。

 果たして今の時代に、所謂良い子(大人にとって都合の良い子)は社会的資質を備えていると言えるのだろうか。

※もちろん、昔から大切にされている価値観が今にも通じるケースはあるとは思うし、全てを否定しているわけではない。でも安易に、「そんなんでは社会で通用しない」と言うのもどうなのだろう、と最近考える。

 

③自己指導能力の育成を目指すはずなのに、逆に奪ってはいないだろうか?

 問題行動の未然防止と銘打って、子ども達を管理する学校、学級のルール。手紙禁止、メモ帳禁止、物の貸し借りの禁止、教室移動は整列して移動しましょう、などなど。「トラブルが増えるから、元々禁止にしてしまおう」という考え方である。トラブルから子ども達は多くのことを学ぶ。その学ぶ機会を奪ってはいないだろうか。がんじがらめのルールの中で育った子は、ルールがなくなった時に自分で考えることができるのだろうか。ルールに書いてないことについて、自分の道徳観に従って行動を決定することができるだろうか。大人に従順な子は、クラスメイト(権力者)のいじめを止めることができるだろうか。自己指導能力を育成したければ、子どもに判断を委ねることこそ大切ではないだろうか。

 

ただし、こうも書かれている。

⽣徒指導は、(中略)学校⽣活がすべての児童⽣徒にとって有意義で興味深く、充実したものになることを⽬指しています。

「公共の福祉」と考えていると分かりやすい。個人の権利は尊重されるべきだけれども、他人の権利を脅かしてはいけない。その場にいる全員が気持ちよく学校生活を送ることが最重要である。そう考えると、やはり靴下の色が何色だろうが関係ない、と思ってしまうし、あまりにもトラブルが多くて収集がつかない(担任の手に負えない)となったらルールで制限するのも致し方ない時期もあるのかもしれない。

 

 これは余談だけれど、「どこで線引きをするか」と言う生徒指導においての永遠のテーマがある。私が尊敬する先輩に、この質問をして返ってきた答えがあまりにも見事だったので紹介して終わる。(当時はあまり意味が分からなかったが、今になるとよく分かる。)

 

私「どこで線引きしてるんですか?」

先輩「そりゃあ、自分が責任取れるところまでだな。」 

 

 

 

愛されるポンコツの存在

「能力が高い方が人は幸せに生きられるのか。」

と、考えていると「幸福度」と「能力」は相関関係が無いように思う。

 育児をしていると、「今のうちにこうすると言語能力が発達がするよ」「これがいいらしいよ」などの様々な情報が入ってくる。もちろん、我が子の能力を伸ばしてやりたいという気持ちもある。でも突き詰めて考えていると、親の願いとしては「幸せになって欲しい」だけだな、と子どもの顔を見ていてつくづく思う。勉強ができなくたって、運動ができなくたって、幸せな人生を歩んでくれればそれでいい。

 では、幸せになるためには、何が関係しているのだろうか。私は愛嬌だと考える。愛嬌さえあればオールオッケー説をここでは述べたい。みなさんの周りにもいないだろうか、できないことばかりなのに憎めない人、なんか助けたくなっちゃう人、ただそこにいてくれるだけで場が和らぐ人、愛すべきポンコツ、こういう人たちに共通しているのは「愛嬌」である。「何かができる」よりも「愛嬌」があるだけで周りの人間から、必要とされ、助けてもらえるのではないだろうか。

 では、「愛嬌のある子」に育てるには、どうすれば良いのだろうか。愛嬌は、人間関係の中でしか育まれないのだと思う。つまり愛想よく接する人がいるかどうか。笑いの中で育った子は、よく笑う子になる。人に助けられて育った子は、人を助けたり人に助けられる子になる。

 なので、うちの子育て方針は「すぐ抱っこ」である。困って泣いてたらすぐに助ける。おかげでなかなかハイハイもズリバイもしないのだけれど、それでいいかとも思う。何かができるようになる、よりも困ったときに人に助けてもらった経験の方が、私には大切に思えるからだ。

 我が子よ、愛されるポンコツになれ

赤ちゃんをくすぐる親のイラスト