ひねくれ先生のブログ

30代公立小学校教員(算数が好き)が日々思うことを徒然なるままに書くブログ

文科省もなかなか良いことを言っている(生徒指導編)

 タイトルだけ見ると、どの目線で偉そうに言っているんだ、とお叱りを受けてしまいそう。ただ、心底そう思ったのだ。「文科省もなかなか良いことを言っている」って。「文科省は何をやってるんだ!」という現場の怒りの声をよく聞いていたので、しょうもないことを言っているイメージでした。すみません。

 

⽣徒指導とは、⼀⼈⼀⼈の児童⽣徒の⼈格を尊重し、個性の伸⻑を図りながら、社会的資質や⾏動⼒を⾼めることを⽬指して⾏われる教育活動のことです。すなわち、⽣徒指導は、すべての児童⽣徒のそれぞれの⼈格のよりよき発達を⽬指すとともに、学校⽣活がすべての児童⽣徒にとって有意義で興味深く、充実したものになることを⽬指しています。⽣徒指導は学校の教育⽬標を達成する上で重要な機能を果たすものであり、学習指導と並んで学校教育において重要な意義を持つものと⾔えます。各学校においては、⽣徒指導が、教育課程の内外において⼀⼈ ⼀⼈の児童⽣徒の健全な成⻑を促し、児童⽣徒⾃ら現在及び将来 における⾃⼰実現を図っていくための⾃⼰指導能⼒の育成を⽬指 すという⽣徒指導の積極的な意義を踏まえ、学校の教育活動全体 を通じ、その⼀層の充実を図っていくことが必要です。(生徒指導提要 2010 文科省

 

これを読んで、現場の生徒指導との乖離を感じたのは私だけだろうか。次の3点が気になった。

 

①現場の生徒指導が個性の伸長を図っているのだろうか?

 〇〇の髪型は禁止。髪を染めてはいけません(地毛証明書を提出しなさい)。制服を着なさい。アクセサリーをつけてはいけません。靴下は白色のみとします。挙げればキリがないけれど、子ども達を一様に揃えようとする校則は、個性の伸長からはほど遠い。

※もちろん、服装が乱れることのデメリットはあると思う。人は見た目で判断する生き物であるし、マイナスイメージで見られるかもしれない。でも、それは個人がリスクを負えば良い話で、校則で一様に禁止するのはどうなのだろうか、とも思う。不良集団のイラスト

②今、求められている社会的資質とは何だろうか?

 社会的資質は時代によって変わる。例えば、高度経済成長期の日本において、必要だった人材と、今の世の中において必要な人材は大きく異なるだろう。この辺りは山口周著の「NEWTYPE ニュータイプの時代」に書かれているオールドタイプとニュータイプの違いが非常にわかりやすかった。昔は「良し」とされてきた価値が変わってきているのである。正解を探す、ルールに従う、一つの組織に留まる…などの価値は、今と昔では違って当たり前である。

 果たして今の時代に、所謂良い子(大人にとって都合の良い子)は社会的資質を備えていると言えるのだろうか。

※もちろん、昔から大切にされている価値観が今にも通じるケースはあるとは思うし、全てを否定しているわけではない。でも安易に、「そんなんでは社会で通用しない」と言うのもどうなのだろう、と最近考える。

 

③自己指導能力の育成を目指すはずなのに、逆に奪ってはいないだろうか?

 問題行動の未然防止と銘打って、子ども達を管理する学校、学級のルール。手紙禁止、メモ帳禁止、物の貸し借りの禁止、教室移動は整列して移動しましょう、などなど。「トラブルが増えるから、元々禁止にしてしまおう」という考え方である。トラブルから子ども達は多くのことを学ぶ。その学ぶ機会を奪ってはいないだろうか。がんじがらめのルールの中で育った子は、ルールがなくなった時に自分で考えることができるのだろうか。ルールに書いてないことについて、自分の道徳観に従って行動を決定することができるだろうか。大人に従順な子は、クラスメイト(権力者)のいじめを止めることができるだろうか。自己指導能力を育成したければ、子どもに判断を委ねることこそ大切ではないだろうか。

 

ただし、こうも書かれている。

⽣徒指導は、(中略)学校⽣活がすべての児童⽣徒にとって有意義で興味深く、充実したものになることを⽬指しています。

「公共の福祉」と考えていると分かりやすい。個人の権利は尊重されるべきだけれども、他人の権利を脅かしてはいけない。その場にいる全員が気持ちよく学校生活を送ることが最重要である。そう考えると、やはり靴下の色が何色だろうが関係ない、と思ってしまうし、あまりにもトラブルが多くて収集がつかない(担任の手に負えない)となったらルールで制限するのも致し方ない時期もあるのかもしれない。

 

 これは余談だけれど、「どこで線引きをするか」と言う生徒指導においての永遠のテーマがある。私が尊敬する先輩に、この質問をして返ってきた答えがあまりにも見事だったので紹介して終わる。(当時はあまり意味が分からなかったが、今になるとよく分かる。)

 

私「どこで線引きしてるんですか?」

先輩「そりゃあ、自分が責任取れるところまでだな。」