ひねくれ先生のブログ

30代公立小学校教員(算数が好き)が日々思うことを徒然なるままに書くブログ

教室移動「廊下を並んで歩く問題」

f:id:capocapo3:20191225174339j:plain


後輩と飲みに行った時のことをツイートしてみたら、思ったより多くの反応を頂きましたので、もうちょっと詳しく自分の考えを書いてみました。

 

 

①教員と児童の役割

 その理論でいくと、「教員も児童と同じことをしなければならないので、成り立たない」という反応を頂きました。

・授業中、先生は手を挙げないし、勝手に語りかけるし、それもおかしいの?

 なるほど。確かに教員と児童は立場も違えば役割も違いますね。「子どもがしているんだから先生もしましょうよ」を全て実践すると、学校教育は成り立たないです。

それでも、この後輩が問題提議してくれたことを考えると「大人になって必要としていないことを、強制的にさせるのはどうなのか」という問題です。大人が移動する時は、並んで移動することはありません。それは「大人はその状況を読み取り、状況に相応しい行動を取ることができる」とされているからだと思います。だとしたら、この「並んで黙って教室移動」は子どものためにしていることではないということです。教員のためのルールだという側面が見えてきます。

 ちなみに

・先生は喋るのが仕事

という意見もありましたが、私が考える教員の役割は「伝えること」です。教室移動であれば、「場所によっては静かに移動しないと他人に迷惑がかかる」ことを伝えるのが仕事ではないでしょうか。ですから「並んで静かに移動」でも、なぜそれをするのかを伝えているのか、そうでないのかでは意味合いが変わってくるのだと思います。

 

②管理することの弊害

 「並んで静かに移動」することに子どもの思考は必要ありません。なぜなら、前の人に黙ってついていけばいいからです。そこに子どもの意思はありません。あるとすれば、「怒られないようにみんなに合わせておこう」ぐらいの物です。これを、「並ばずにそれぞれで移動」に変えると子どもたちが思考せざるを得ません。

 (1)時間に間に合うには何分に出発すればいいのか。

 (2)今は喋ってもいい時間かどうか

 (3)この場所は喋ってもいい時間かどうか

 少なくとも、この3つは考えなければいけません。最初のうちは間違える子もいるでしょう。そんな時は、教員が伝えたらいいだけです。それが指導になります。そして、学級が成熟してくると、「いつもあの子は遅れがちだから、声をかけて一緒に行こう。」というように周りを見て行動する子も増えてきます。

 「並んで静かに移動=管理教育」は子どもの学ぶ機会を奪います。

 

③その時、その状況で判断

 この話の一番大きな問題は「全校で揃えている」ということです。私自身、「並んで静かに移動」させることもあります。でも、毎回の教室移動ではありません。必要だと思った時です。例えば、全校集会があって体育館に移動する時です。この時に、それぞれが移動するリスクはあまりにも高く、私の力では防ぎきれないからです。このように、それぞれのクラスの状況、担任の力量、余力でどんな方法を取るのがベストなのかは変わってきます。並んで静かに移動させるクラスがあっても良いですし、それを全否定したいわけではありません。でも、一律に、「教室移動はいかなる時でも並んで静かに移動」という学校が増えてきていることには危機感を感じます。

 

最後に

 Twitterにも書きましたが、あくまでこれは私の考え方です。絶対に正しいと思っているわけでもありません、ひょっとしたら、「全校揃えて教室移動は並んで静かに移動」が子どものためになっているのかもしれません。でも、「例年そうだから」「この学校は昔からそうなんだよ」と思考を止めるのだけはやめませんか?