ひねくれ先生のブログ

30代公立小学校教員(算数が好き)が日々思うことを徒然なるままに書くブログ

AIに負けない子どもを育てる

「AIに負けない子どもを育てる」を読んだので、その中身に対する自分の考えを書く。

 

ロボットは東大に入れるかプロジェクト

MARCHレベルまでは入れるが、東大に合格できる見込みはない。「図」がネック

  MARCHまで入れるって、もう単純にすごい。偏差値でいうと55〜65らしいので、日本人の平均的な点数より高いってこと。「テストの点数を取る」という価値が年々下がってきているのかもしれない。キングコングの西野さんがYoutubeで言っていたけれど、「偏差値やテストの点数を取れる人は努力できる人」でそれ以上でもそれ以下でもないのかもしれない。

 それと同時に「図」や「イラスト」に秘められた情報量に驚く。そこまで進んだAIでネックになっているのがそこなのか。確かに私たちは小さい頃から視覚的情報から多くのインプットを得ている。そこには、「論理」というより「感覚」が重視されることも多いのかもしれない。この視覚的情報のインプット(もしくはアウトプット)が人間がAIに勝てる要素の一つだとすれば、そこに大きな可能性を感じた。板書をもっと磨かねば。

 

RST(リーディングスキルテスト)という名の読解力を測るテスト

 昔から、国語のテストには違和感を感じていた。文学作品を読んで「筆者が言いたいことは何か」というのは無理がある。言いたいことが、言葉でストレートに表現できないから「文学」という形で表現しているはずなのに…。これで読解力なんて分かるの?というのは常々思っていたので、新井さんが提唱するRSTには賛同しかない。実際に解いてみたけれど、これは納得の問題内容だった。もういっそのこと、国語の試験はRSTで良いんじゃないか、とさえ思ってしまった。

 

 診断として使われるテストの練習をしないでください

 最近思うのが、テストの点数と学力は相関関係にあるのだろうかという問題。テスト前に類代を繰り返し解いてパターンかすれば、テストの点数は上がる。でも、それって学力が上がっているのだろうか。RSTでもドリル問題を作り練習する自治体や学校が表れたいう。それでは正しく診断ができない。つまり正しく読解力が測れないのである。

 

RSTを毎日ドリルで練習すると、却って読解力は下がる

人間のように賢い動物は同じようなことを何度も練習させられると、楽だけれども非本質的な解き方を会得する

 人間は本能的にサボるって話。これってRSTだけでなく、他のドリルもそうなのではないだろうか…と考えて怖くなった。我々、教員が毎日毎日、一生懸命に取り組ませている「ドリル」。どこまで価値があるのだろうか、むしろ却ってマイナス効果も生んでいるのだとしたら?一度、宿題や演習問題に関して見直すべきなのかもしれない。「練習すればするほどテストの点数が上がる」という事実の先にあるものを見るべきなのだろう。

 

日本はアクティブラーニング先進国

特に小学校は世界一生徒の意見を聞き、グループ学習をすることで知られている

日本の「研究授業」が世界から注目を集めている

  ひょっとしたらそうなんじゃない?と思っていたところをはっきり書いてくれたのですっきりした。日本の授業って捨てたものじゃないと思っている。特に、全国算数授業研究会の先生たちの授業は抜群に良い。私たちが受けていた授業とは全然違う。学校批判をする方達は、一度、この先生たちの授業を見てから言って欲しい。ほんと。一方で、教科書の内容を一方通行で教え込んでいる授業があるのも一つの事実。良いものは良い、悪いものは悪いと言える教育界であって欲しい。

 

プリント・ワークシートの多用がかえって生徒の学力に悪影響を与えている

  以前、このようなツイートをして結構共感してもらえたのだが、本当にそう思う。

 

プリントを作りすぎたり、ドリルをさせすぎたりした結果、小学校は『見せかけの成績』が上がる一方、伸びしろが小さくなってしまっているのではありませんか。

 中学生の成績が伸びない原因は中学校にあるのではなく、小学校にあるのではないかという話。もうよくぞ言ってくれました。ガツーンとハンマーで殴られたイメージで。『見せかけの成績』になってしまっている現実は少なからずあるはず。結果、中学校で学力が伸びない。だから、「テストの点数」や「成績」という結果を追い求めすぎる風潮には賛成できない。非認知能力という言葉があるように、「点数」で測れない力の方が本質的なのかもしれない。RSTはRSTで素晴らしい試みだと思っていますが。

 

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