ひねくれ先生のブログ

30代公立小学校教員(算数が好き)が日々思うことを徒然なるままに書くブログ

できる<分かる<楽しい

 とかく大人たちは「できる」を優先させてしまいがちである。これは教員とて例外ではない。むしろ教員が加速させているのかもしれない。ついカラーテスト(業者作成のテスト)の点数を取らせようと躍起になる。しかし、カラーテストの点数を上げるのは、そんなに難しいことではない。「分かる」必要はないからだ。

 

カラーテストの点数を取る方法

①問題文を読まなくたってタイトルを見れば「何算」を使うか分かる。

②同じような問題を反復練習すれば、意味など分からなくてもできる。

 

 このような方法で点数を取ることにどれだけの意味があるのだろう?「点数を取ることでプライドが保たれる」「点数が低いと勉強が嫌いになる」こんな反論をいただくこともあるのだけれど、結局それらは「点数至上主義」の大人が作り出した価値観であり、本来のテストの意味からはほど遠い。(本来のテストは、自分は「何ができていないか」を確認するチェック機能である。)

 

 ちなみにそうやって小学校で誤魔化し誤魔化しで高いテストの点数を取った結果、中学校の壁にぶち当たる。そして、その壁を乗り越えていくだけの力は点数至上主義の中では育たない。「分かる」かどうかより「できる」を優先させてきたツケである。ただ、そんな人たちも一つだけ壁を乗り越える可能性がある。「暗記」だ。気合と根性でカバーすれば、なんとかなるかもしれない。こうやって気合と根性論で日本が作られてきた。

 

 そうして、気合と根性で「暗記能力」を身に付けた社会人は今の世の中に必要とされるのだろうか…。

 

 私は「できる」より「分かる」に重きを置きたい。数値で表現されにくい、結果がわかりにくいため、重要視されてこなかった「分かる」。例えば、「等分除」「包含除」の違いについて。これが分からなくても小3のテストで点数が取れる。でも、分からないまま高学年になるから、「4÷0.5」の意味が分からなくパニックになる。「え?4つのものを0.5人で分けるって意味が分からない」と。包含除の意味が分かっていれば「4の中に0.5がいくつあるか」だと分かるのに。

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 もっと言うと、「分かる」より「楽しい」を優先させたい。私は授業で「学ぶ楽しさ」を最優先にしている。なぜなら、それさえあれば後はどうとでもなると考えているからだ。「学ぶ楽しさ」は全てを超越する。それを知った子は、「分かる」ようにもなるし「できる」ようにもなる。でも、残念ながら「できる」子が「分かる」とは限らないし、「楽しい」かと問われるとさらに難しい。「勉強はつまらないもの」と言う価値観が浸透してしまっているのは、「できる」至上主義だったからだと考える。

 

⭕️「楽しい」→「分かる」→「できる」

❌「できる」→「分かる」→「楽しい」