ひねくれ先生のブログ

30代公立小学校教員(算数が好き)が日々思うことを徒然なるままに書くブログ

「めあて」とはなにか

ある時期から管理職が

黒板には必ず「めあて」と「まとめ」を書きましょう。

めあては授業の最初に、まとめは授業の終わりに書きましょう。

みたいなことを言い始めた。教育委員会からの通達だったようだ。「形を整えたら授業の質が向上する」という意図は分かるが、私は反対した。研究会の度に「黒板にめあてとまとめが書いてあってよかった。」などの意見がまかり通ることに、強い危機感を感じた。以来、ずっと形式だけの「めあて」には反対し続けている。ここで、自分の考えを一度、まとめておこうと思う。

 

「めあて」と「ねらい」は違う

まず、「めあて」と「ねらい」は違う。よくあるのが下の図にあるように、授業の冒頭に黒板に書かれる「仮分数を帯分数に直す方法を考えよう」というもの。そして、問題が提示されるこれは「めあて」ではない。子どもたちは授業が始まった時に、「仮分数を帯分数に直す方法を考えよう」なんてことは1mmも思っていない。あくまでこれは先生目線の「ねらい」である。もちろん、教員は「ねらい」を持って授業に取り組むべきであるが、それを「めあて」として提示して授業を始めるのは、ただの「ねらい」の押し付けである。「めあて」は子どもがもつもの。与えられるものではない。「1学期のあなたのめあてはこれ!」と言われたら違和感しかないのと同じ。

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「めあて」とはなにか

では、「めあて」とはなにか。これは、筑波大学付属小の山本先生がおっしゃっていたことだが、「めあて」とは子どもの「問い」である。つまり子どもたちが「ん?」と困って初めて「めあて」が生まれる。子どもが問題意識をもつことである。例えば、下の図のように「大きい方が勝ちゲーム」をやる中で、11/4と9/3を比べる問題に出会ったとする。子どもからすると、「どっちが大きいかを知りたい」のだけれど、「比べ方が分からない」のである。ここで、子どもたちは困る。問題意識をもつ。「どうやって比べたら良いのだろうか」「9/3=3だから、11/4を仮分数にしたら分かるんだけど…」「仮分数って帯分数にどうやって直すの?」とめあてが生まれる瞬間である。ここで、先生側の「ねらい」と子ども側の「めあて」が初めて合致する。

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めあてを生み出す工夫を

つまり、「めあて」が生まれる前には必ず問題がないといけない。教師側の「ねらい」と子ども側の「めあて」を繋ぐ問題を「しかけのある問題」と私は名付けた。子どもたちが考えたくなる必然性、分からない、困り感があるからこそ、子どもたちは主体的に頭を働かせる。これこそが本来の「めあて」である。

❌めあて→課題

⭕️問題→めあて→課題

 

極端なことを言えば、問題を先に提示するだけでも、子どもたちの主体性を引き出し安くなるし、「めあて」が本質的になる。

❌2けた+2けたの計算の仕方を考えよう→24+15=?

⭕️24+15=?→2けた+2けたの計算ってどうやるの?

◎24+15を計算したくなるような「しかけのある問題」

 →2けた+2けたの計算ってどうやるの?

 

ちなみに今回の教科書改訂で、いくつかの教科書会社が「子どもの問い」「はてな」「?」「〜かな」という表現があり、それがそのまま「めあて」になると考えると、授業も考えやすい。